判断が止まった場面
「貯蓄率は手取りの20%を目指すべきだ」 家計管理を志したとき、私たちはまずこうした「正解らしき数字」を手に取ります。そして、その基準に自分たちを当てはめようと試みます。
しかし、実際に家計簿を広げてみると、そこには教科書通りにはいかない現実が横たわっています。今月は友人の結婚式が重なった、家電が壊れた、あるいは、ただ日々の仕事の疲れを癒やすために少し贅沢な食事が必要だった。そんな出来事が積み重なるたびに、計算上の「20%」という数字は遠のいていきます。
数字が基準に届かないとき、私たちは「自分たちの管理が甘いのではないか」と自責の念に駆られます。一方で、もし無理をしてその数字を達成したとしても、今度は「こんなに切り詰めて、何のために生きているのだろう」という空虚な問いにぶつかることもあります。
「もっと貯めなければならない」という焦りと、「これ以上は削れない」という閉塞感。 この二つの間で板挟みになり、結局、家計のハンドルをどちらに切ればいいのか分からなくなってしまう。これが、貯蓄率という言葉の前で多くの人の判断が止まってしまう、典型的な場面です。
迷いが生まれる理由
なぜ「適正な貯蓄率」という明確な指標があるにもかかわらず、私たちの迷いは消えないのでしょうか。それは、貯蓄率という一つの指標の中に、性質の異なる複数の問いが未整理のまま混ざり合っているからです。
まず、私たちが抱く「不安」の中身を覗いてみると、そこには「生存への危機感」と「理想への渇望」が混在しています。 「老後にお金が底をついたらどうしよう」という生存の恐怖と、「周りのように教育費をかけてあげられないかもしれない」という比較による不安。これらは全く別個の感情ですが、家計簿の上では「貯蓄率が低い」という一つの事象に集約されてしまいます。
また、私たちは「世間の平均」と「自分の納得」を同じ天秤にかけてしまいがちです。 雑誌やSNSで見かける「貯蓄率30%を実現する家庭」の姿は、あたかも全人類にとっての正解であるかのように錯覚させます。しかし、その数字の裏にある固定費の差、住んでいる地域の物価、家族の健康状態といった「前提条件」は、自分の家計とは切り離されているはずのものです。
それらが整理されないまま「貯蓄率」という言葉で一括りにされるとき、私たちは「どこまでが健全で、どこからが不健全なのか」という境界線を見失い、判断を止めてしまうのです。
よくある思い込み
家計の迷いを深くする背景には、いくつかの強力な思い込みが存在します。
一つは、**「貯蓄率は高ければ高いほど『善』である」**という価値観です。 確かに、数字上の資産を増やすという意味では、貯蓄率は高い方が効率的です。しかし、家計の目的は「数字を最大化すること」だけではありません。今しかできない体験や、心身の健康を維持するためのコストを過剰に削って得た貯蓄率は、いわば「生活の質を前借りした数字」に過ぎません。
もう一つは、**「貯蓄率が上がらないのは、意志の力が弱いからだ」**という思い込みです。 貯蓄率が停滞しているとき、その原因を「規律のなさ」や「無駄遣い」に求めてしまいがちですが、実際には家族構成の変化や収入構造といった、個人の意志ではコントロールしにくい「構造的な要因」が大きく影響しています。
これらの思い込みは、私たちに「正解の数字に従うべきだ」という圧力をかけ、自分たちの実感を二の次にしてしまいます。その結果、「数字は正しいはずなのに、なぜか苦しい」という歪みが生じるのです。
混ざっているものの整理
ここで、絡まり合った糸をほどくように、混ざっている要素を丁寧に分けてみましょう。
1. 「平均値」と「適正値」は同じではない
統計が示す「平均的な貯蓄率」は、あくまで他人の家計を平らした数字です。一方、あなたが求めているのは「わが家が破綻せず、かつ満足して暮らせる」ための適正値です。 他人の物差しを自分の家計に当てはめるのを一度やめ、目の前にある数字が「世間とのズレ」を指しているのか、それとも「自分の生活実態とのズレ」を指しているのかを分けて考える必要があります。
2. 「生存のための貯蓄」と「希望のための貯蓄」は同じではない
貯蓄には、大きく分けて二つの役割があります。 一つは、病気や失業といった万が一の事態から身を守るための「守りの貯蓄」。もう一つは、旅行や住宅購入、教育といった未来の楽しみを叶えるための「攻めの貯蓄」です。 「貯めなければ」と焦る心が、どちらの欠乏から来ているのかを切り分けてみてください。もし守りの貯蓄が十分にあるのなら、感じている不安は「生存の危機」ではなく、単なる「優先順位の迷い」かもしれません。
3. 「節約」と「資産形成」は同じではない
支出を切り詰めて貯蓄率を上げる「節約」と、入ってくる流れを変えたり時間をかけて育てたりする「資産形成」は、似て非なるものです。 今、貯蓄率が伸び悩んでいる原因が、日々の買い物の仕方に(節約に)あるのか、それとも固定費や収入といった家計の骨組み(構造)にあるのか。これらを分けるだけで、自分を責める必要がない領域が見えてきます。
4. 「数字上の健全さ」と「情緒的な健全さ」は同じではない
貯蓄率20%を維持していても、夫婦間で常に喧嘩が絶えなかったり、子供の笑顔を奪うほどの制限があったりするなら、それは家計として「不健全」です。数字が示しているのは「効率」であり、人生の「豊かさ」ではありません。この二つを混同せず、別の指標として眺めることが重要です。
ここまで整理できれば十分
「結局、貯蓄率は何パーセントが正解なのか」 その答えを出そうとするのを、一度止めてみてください。この記事の目的は、あなたに特定の数字を提示することではありません。
大切なのは、貯蓄率という言葉の影に隠れて見えなくなっていた「不安の成分」や「価値観の相違」を、一つひとつ解きほぐしていくことです。 世の中が提示する「適正」という名のフィルターを通さずに、自分たちの家計の現状をありのままに眺めること。そして、「何が混ざっていて、何が違うのか」を認識すること。
そこまで整理がつけば、家計はもはや「正解を当てに行くための試験問題」ではなくなります。 無理に数字を動かそうとするのではなく、まずは自分たちの立ち位置を確認し、線を引き、混ざっていたものを分けて置いておく。それだけで、次に何を考えるべきかの輪郭が、少しずつ見えてくるはずです。